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入居者様の作品です2。  : お知らせスタッフ日記

陽だまり7月号の、随筆の投稿です。

 

私はシャコ貝になりたい   (K様より投稿いただきました)

 

 

フィリピン海で戦闘のあと、数名の戦友の遺体を航行中の艦上から

投下水葬した時以来65年たつ。

残照薄暮のなか、ハンモックに包んだ屍を海底深く沈めた時の光景は、

未だに瞼にやきついて忘れられない。

 

祖国のために身をささげたのは武門の誉れとたたえられるご時世とはいえ、

いまや憂き世の桎梏や束縛から解放され、安らいでいるだろうか。

いや意識を失い感情も消え、時空を超越した無の幽境を漂流しているのだろうか。

自問自答したものである。

 

その後周辺の島を訪ねる機会を見て慰霊供養を重ねてきたが、

老年の身にはこれが最後と、去る3月にパラオを訪ねた。

 

パラオはフィリピン東方にあり大戦の激戦地で、

未だに海底にゼロ戦闘機が沈み、ペリリュー島には錆びついた対応、兵器が放置されて痛々しい。

はるかな戦没者の成仏を祈り、目前の残骸に哀悼の意をささげたことであった。

 

パラオは無数の小島が散在し、さんご礁にコバルトブルーの、

波穏やかな海が果てしなく広がっている。

シニアセンターで勧められて、スノーケリングを初体験することになった。

 

透明度抜群の海底は色も形もさまざまな珊瑚のカーペット、色彩豊かな小魚が泳ぎまわり、

底ではなまこやシャコ貝、オーム貝が海草とたたずんでいる。

 

グラスボートから見学したことはあるが、海に潜って泳ぐのは初めて。

海水が温かく流れおだやかで、体中の皮膚がかつて味わった感触を思い出させる。

それは誕生前の母胎のなかで浮遊する嬰児の感覚に似ているようだ。

 

このまま意識を失い永遠に眠れたらどんなに幸せなことか。

しばらく坊が亡我夢遊の境にあった。

絶命して意識がなくなれば、暗闇の世界を漂流するのだという

わたしの従来の死生観を封印したい。

現世を終えても来世にはまた生まれ変わるという

中国のいわゆる転生により化身するなら、

わたしはシャコ貝になりたいと願った。

 

シャコ貝は小から大は200キロに及ぶ二枚貝である。

海底にじっと佇む姿は泰然自若、隠者の風格を備えている。

 

以来遺族が寺に納骨しても、

わたし自身は自然回帰こそ終焉と決めて、

南方海原で散骨するよう、

家族には言いつけてある。

 

 

 


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